拘束される身体と解放される身体!
「テアトロ」2002年1月号より

佐藤康平

 

第3回フィジカルシアターフェスティバル(於・江古田ストアハウス)の4演目中、木村真悟=構成・演出、ストアハウスカンパニー『Territory』が、今なお眼の前で激しく跳梁しているような感銘を引きずっている。

このグループの前作は"縄"の山が身体(フィジカル)に次々と挑発の罠を仕掛けてきたのだったが、今回は"ゴミ"の山が仕掛けられる。5人の"旅人"は最初、このゴミの山を避けるように旅路を急いでいるが、だんだん避けがたくなってついにゴミの山に突入。何度も踏み込む内にゴミは蹴散らされ周辺に広がっていく旅人の健脚も長い旅程で疲労の極に達し散らばったゴミの地平に倒れるが、やがて、このゴミと絡まりあうと彼らの衣服が剥ぎ取られていき、気がつくとビニール袋の中にそれぞれがすっぽりと胎児のように収まっていた。透明だったビニール袋は彼らの吐く息でだんだん曇って中が見えにくくなり、呼吸が荒くなってくる。客席も息を詰めて見守っていると、やがて内側から袋は徐々に破られて肉体が這い出し、彼らは再び着衣して何事もなかったように旅を続けていく。

今私は、本作に物語をはめ込みすぎて説明しているかもしれない。物語などここにはないかも知れず、"身体"は本来、物語など必要としていないかもしれない。身体の運動がもたらす感銘を困難ながら何とかお伝えしようとして、つい私は"物語"を借りているのである。『Territory』の後半で激しく美しく吹き上がってくるものは、刻一刻と迫る身体の危機と、再び甦ってくるみずみずしい身体であり、その試練の"物語"が観客が観客の身体まで揺るがしたのだった。実際こんな身近に"切実な肉体"を感じたことはなかったのである。

 

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